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2021.07.30 【ブラックバード】のパイロット、ブライアン・シュルとアンバサダー契約を締結しました!

ボール ウォッチは、「ボール·エクスプローラーズ·クラブ」と称し、正統な時計作りを受け継ぐブランドの伝統と共鳴する、世界を代表する探検家、スポーツマン、市民社会の重要人物にスポットライトを当てています。元米国空軍少佐、ブライアン·シュルはSR-71ブラックバードの飛行経験のあるわずか92名のパイロットの一人です。この機体を操縦したパイロット仲間の間で「The Sled(そり)」とも呼ばれるブラックバードは、超音速マッハ3を上回る長距離·高高度の戦略偵察機です。このSledの伝説の操縦士、ブライアン·シュルはまさに、逆境に負けない勇気の持ち主の象徴です。1948年にバージニア州クワンティコ海兵隊基地に生まれ、1970年に大学を卒業後(史学専攻)、同じ年に米国空軍に入隊。後のベトナム戦争に海外空軍顧問として参加しましたが、戦争終結に向けた飛行秘密作戦においてAT-28D機で飛行中にカンボジアとの国境近くで撃墜され、凄まじい恐怖とともにジャングルに不時着し、かろうじて生き延びたものの、引火したコックピットに閉じ込められていました。ヘルメットのバイザーが溶けて視界は塞がれ、全身炎に包まれながらも、燃えさかる残骸の中からなんとか這い出しました。その後、特殊作戦パラシュート·レスキュー隊のヘリコプターによって敵地から救出され、軍病院に収容されましたが生存の見込みはありませんでした。

  1. 2カ月間の集中治療後、シュルは本国に帰還し、テキサス州の外科病院で回復治療を続けました。二度と操縦桿を握ることはないだろうと言われながらも、1年間の治療と15回の手術を経て、その逆境に打ち勝ちます。固い決意で理学療法に取り組み始め、大怪我を見事克服して軍人界に衝撃を与えました。操縦士に求められるすべての身体要件にパスし、退院後10年もの間、戦闘機で飛び続けました。最終的に宇宙飛行士並みの身体能力が求められる超極秘SR-71ブラックバードのパイロットに名乗りを上げ、一切の免除なく合格。指にチタンのピンを入れ、鋼の心臓を持つシュルはかくして、名高い偵察機を操る高度な操縦技術を誇るエリートパイロット集団、別名「Sled Drivers」の一員となりました。秘密任務を受けて、はるか空のかなたで彼とマシンは一体となり、1,000度の高温に曝されても精巧な成型を保ち、比類なきパフォーマンスを備えた彼女(SR-71)と世界中を音速で飛行しました。

戦闘機に乗り続けて20年、飛行時間は5,000時間を超え、1990年に空軍を退役。現在は執筆家、写真家、引く手あまたの講演者として活躍しています。ブライアン·シュルは誰にもまして周囲を鼓舞する存在であり、正しい意識があれば、何事も可能であることを示した生き証人です。私たちは、大きな誇りとともに、ブライアン·シュルを「BALL Explorers Club」に迎えます。

“人生におけるほんの小さな意識の変化が、残りの人生を大きく左右するかもしれない” 

— ブライアン·シュル

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